INTERVIEW
2017.01.31

八田茂×中村真一郎【前編】リクルートからJリーグへ。キャリアチェンジを決断させた“赤鬼”との出会い

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「キャリアの大きな転換はいつ起きたのか」。その問いに、大手人材会社リクルートで築いた20年以上のキャリアを捨て、門外漢であるスポーツの世界に飛び込んだ男は、「出会い」だと答えた。

リクルートで約20年、Jリーグで約10年、そして今は日本オリンピック委員会のキャリアアカデミー事業にてディレクターとして活躍する八田茂氏。ウィンコーポレーション代表取締役CEO中村真一郎氏が一流の仕事人と意見を交換する対談第9回。八田氏のキャリアの転機、そして仕事を続けるモチベーションについて中村氏が話を聴いた。

キャリアの転機は、川淵三郎に会ったとき

中村真一郎氏(以下、中村):
本日はよろしくお願いします。まずは八田さんのこれまでのキャリアについておうかがいしてもよろしいでしょうか。

八田茂氏(以下、八田):
大学を出て1979年からリクルートで20年ほど勤務しました。営業の仕事が中心でしたが、企業の採用や研修、コンサルなどもおこなっていました。2001年にJリーグから、Jリーガーが引退した後を支えるキャリアサポートセンターを作りたいというオファーがあり。自分はそのとき新規事業開発室にいたので、出向の声がかかったのです。

それで2、3年Jリーグに出向したのちにリクルートを退職して業務委託としてJリーグの仕事に本格的に参画。2008年にはJOCでキャリアアカデミーを立ち上げるという話になったので、5年ほどJリーグの仕事と並行して業務をおこなったのち、2013年からこちらのJOCの仕事に専念するようになりました。

中村:
リクルートでのコンサルや人材のお仕事から、スポーツマネージメントの世界へ。随分大きなキャリアチェンジをされたわけですが、悩むことはなかったのでしょうか。

八田:
スポーツの世界なんてまったくわからないので、何をどうすればいいかさえもわからない。そんなとき、川淵三郎という男に会った。その出会いが、僕がキャリアチェンジを決断した転機です。

「馬鹿野郎!」と怒鳴る“赤鬼”との出会い

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中村:
Jリーグ初代チェアマンで日本サッカー協会会長も務められた、川淵さんのことですね。私もその強烈な性格やビジネスセンスについて、お噂はかねがね聞いています。

八田:
私がリクルートからJリーグへ移ったのは2001年10月1日からだったのですが、事前の手続きで1週間前に虎ノ門にあったJリーグの本部に行きました。その時ちょうど、まだ65歳と若かった川淵さんと話す機会をいただいたのです。

そこであの、怒ると赤鬼みたいな顔で1時間くらい、なぜJリーグを立ち上げたか、僕に何を求めているかという話をギャンギャンとしてきたわけです(笑)。それが川淵さんとの初めての出会いでした。

川淵さんは翌年の6月頃にはサッカー協会の会長になったので、僕が彼と一緒にJリーグで仕事をしたのは1年にも満たない期間だったのですが、その期間にもらった熱量は凄まじいものがありました。

「Jリーグは100年かけてヨーロッパに負けないリーグを作るんだ。お前もその一翼を担うんだ!いいと思ったことは全部やってくれ!」と、とにかく言うわけですよ。無理だと思っても、川淵さんに「馬鹿野郎、そんなのやってみないとわからないじゃないか!トライ&エラーでやれ!!」と怒鳴られて(笑)。

私も元々リクルート20年間培った信念や流儀があったのですが、それを川淵さんはさらに高いレベルで実行していたわけです。なので、2、3年Jリーグで働いた後、リクルートから出向から帰ってこいと言われた時に、川淵さんに相談に行ったんです。「ここでもっと働かせてください」と。

中村:
キャリアを捨ててまで、思い切って新しい挑戦をする……まさにベンチャー精神ですね。もちろん、そういう精神は誰もが持っていると思うのですが、家族など守るものがあるとなかなか踏み出せない。ですが、八田さんはすでに妻子があってもキャリアを変えた。相当な想いがあったのではないかと思います。

八田:
目指すキャリアに向けてぶらさずに、キャリアを築いていくのもひとつのやり方です。

僕の場合はそんなかっこいいものではなく、もともとスポーツ業界に行こうと思っていたわけでもなかった。ただ、川淵三郎という男に出会った。それが自分のキャリアの転機になった。そういうキャリアの作り方もあるということです。

ハイパフォーマーは「なりたい自分」をぶらさない

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中村:
川淵さんはまさに、八田さんの人生のメンターですね。私の場合はメンターと言える人はなかなかおらず……。ただそのかわり、会ったことがなくても尊敬できる方の本やwebでのインタビューを読んでいます。

ただしそれを鵜呑みにするのではなく、自分にとって取り入れるべきかどうか選んだ上で、ですが。他人の意見を入れすぎると言い訳にもつながるので、最終的には自分自身で判断するしかありませんね。

八田:
その通りだと思います。僕も仕事柄、ビジネスマンから転職の相談を受けますが、自分で考えて、後悔しない判断かが大事だよと言うようにしています。

人に言われたことで決めると、あとで後悔する材料になります。高い目標を掲げていたとしても、いろいろ障害があって簡単にはいかないものです。いくらでも他責にできる。でもそこで、何があっても目線をぶらさず、「なりたい自分」に向かって努力する意志、信念があれば、すべてのことが自責になる。転職する上では、「なりたい自分」がきちんとあるかどうかが一番大切だと私は考えます。

私はJリーグにいた頃、三浦知良や中山雅史、宮本恒靖などの選手を近くで見ていましたが、結局、ハイパフォーマーと言われる選手には「なりたい自分」というのがありますよね。キング・カズはまさにその権化。1日1日、ちょっとでも上手くなりたいと考えて毎日努力しているし、どんな障害があっても最後は乗り越えていく。

大怪我をした選手でもそこを乗り越えて大成する選手もいるし、大失敗した後、大きな業績を上げる経営者もいる。できない言い訳をしていても、ちっともそのなりたい自分に近づかない。近づきたくないのであればそれでもいいかもしれないけれど、そんな人生あまり面白くないんじゃないかなと。

『斃れてのち已む』

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中村:
八田さんにとっての「なりたい自分」とは何だったのでしょうか?

八田:
まず、日本の中でトップアスリートのセカンドキャリア支援の仕組みを整備したいというのがこの15年の私のライフワークです。ネガティブな話も全部乗り越えて達成しようという、この大きなテーマがあるので、それが自分のモチベーションにもなっていますね。

それから、川淵さんからもらった色紙の言葉に恥ずかしくないようにやらなければと考えています。「斃れてのち已む(たおれてのちやむ)」という、中国の言葉です。要は、「倒れるまでやれ」という意味で。仕事で嫌なことがあって、酒を飲んで帰ってその言葉があると、「そのぐらいでやる気失っているんじゃねえよ、この野郎!」と川淵さんからへ言われているような気がして(笑)。僕のエネルギーの源泉になっていますね。

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中村氏も発言したように、メンターとなる存在を見つけるのは難しい。それが業務に限らず、人生のメンターとなればなおさらだ。しかし、もし八田氏にとっての川淵氏のように、自分の信念や流儀をさらに上回っていく大きな人間と出会えたならば、人生は大きく変わるだろう。あなたがずっと登ってきた“山”からは外れるかもしれない。しかし、外れた先にも“山”はある。それは、さらに高い“山”かもしれない。だからこそ、何年生きても人生は面白いのだろう。

対談後編では、八田氏が今登っている“山”、アスリート就職支援の「アスナビ」についての話が展開される。2020年東京五輪に向けてスポーツ熱が高まる中、競技だけでは生活できないマイナースポーツのアスリートを企業がどのように支えていくのか。産業界とスポーツ界の未来を語り合った。

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